きょうだい児が「人間の生産性」について考えてみた

こんにちは、クドウ(@malas_kk)です。

最近断食してました。

2016年に神奈川県相模原市で障害者施設殺傷事件が起きました。

この事件に思うことはたくさんありますがそれは別の記事で書くことにします。

事件から3年経ってよく生産性という言葉を目にするようになりました。

今回はこの生産性について思うことを書いていきます。

僕には知的障害を持つ兄がいます。

障害者のきょうだい、いわゆるきょうだい児と呼ばれる存在です。

きょうだい児って何?という人はこちらの記事をどうぞ!

【実録】きょうだい児とは?特徴4選を実体験を元に徹底解説

2018年11月26日

もくじ

そもそも人間の生産性って何?

社会の役に立つということでしょうか?

生産性と調べたらWikipediaには以下のように書いていました。

生産性とは?
生産性(せいさんせい、Productivity)とは、経済学で生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。

一定の資源からどれだけ多くの付加価値を産み出せるかという測定法と、一定の付加価値をどれだけ少ない資源で産み出せるかという測定法がある。

経済学でよく使用される言葉って感じですね。

この意味合いだと人間の価値をはかるのに使用する言葉ではないと思いました。

正直、僕は自分自身が生産性のある人間とは思っていないです。

なにか社会に貢献できているかと聞かれたらYESとは言えないです。
(このブログが誰かの役に立っているのかなあ。笑)

高学歴でもないし特別なスキルもないです。
さらにこの記事を書いている現在は無職です。

そういえば中学生のころから自己肯定感低かったなあ。
生きているだけで価値があるってそのとおりだと思います。

障害者の生産性って?

色々議論されていますね。

相模原の事件では上記のような言葉が投げかけられました。

果たして本当にそうでしょうか?

障害者だからとか健常者だから生産性があるとかではなく生きているだけで価値があると思っています。

ちょうど先週兄が働く施設の家族交流会に参加してきました。

きょうだい児が兄のグループホームにいってきた

2019年8月25日

参加した家族の中には途中涙ぐんでいる人もいました。
グループホームに入所しているので年に数回しか会えないという方でした。

自分の子どもの顔を見ることができて、子どものそばにいることができた。。

それで安心したんだと思います。

「一緒にいて安心する」
「相手に安心を与えることができる」

誰かに対して安心を生産していますよね。

ということは生産性があると言ってもいいのではないでしょうか?

誰かを排除しようとするのはやめよう

これに尽きます。

生産性といえばLGBTの人たちに対して差別的な発言をした議員がいました。
生産性があるとかないとか議論するのは不毛な気がします。

仮に生産性がないから誰かを社会から排除しようとしたら自分自身も排除される側になる可能性もあるんじゃないでしょうか?

いつ自分も社会から必要とされなくなると考えながら生活するなんてとても息苦しいし精神的に良くないですね。

生産性の有無の基準なんて誰も知らないしあいまいなものです。
誰が生産性あって誰が生産性がないとかそんなこと考える必要もないですよね。

ぶっちゃけ僕のブログ記事もこの記事含めて今現在110記事ありますがほとんど生産性のない記事ばかりです。笑

ブログ書くのが楽しいから書いているんですよ。
生産性なんて考えたこともないです。

だから生産性なんて考えるのはやめましょう!
(ブログを書くこと関係ないな。笑)

まとめ

生産性について色々思うことを書いていきました。
誰が生産性あって誰が生産性がないとか考えるのは不毛な気がします。

生きている、それだけでいいじゃないですか。

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